2022年10月25日

考えることについて,自分の限界はかなり低いという実感がある.皆さん本質的な洞察や的確な言葉やとげとげしい修辞などを駆使して表明を行う能力があり結構なことですねと思う.自分はそれ以上考えることができないので,それだけで終わる.

たぶん自分は普通「幼児性」と呼ばれることになるであろう諸々のナイーヴさに対する擁護の必要性(もっと言えば,ある種の正当性)をどこか感じ取っていて,発達という過程はそうしたナイーヴさの「できる限り保存的な」修正過程であるべきだ,とみなしているかもしれない.ナイーヴという判定自体に本当にナイーヴな判断が忍び入っていないのか,と.だから私は一般論も尊重するし,これまでもこの先も人間的・社会的に未熟と呼ばれ続けるし,今でもこうした滅茶苦茶な文章を平気で書けるのだろう.

私はできる限り大きな枠組みを用意してただちまちまと考える事しかできないし,またそれが正当なことで,最も「幼児的でない」方法であるとすら信じている.のだけど,様々な人と関わっていると,こういった事について,人は大体10代中頃までには何らかの弁えを得ているように見えて,私は死んでもそこに到達しえない,というより,する気にすらなれないのだろうな,と思う.クズ小児だ.おわり.