「今が一番若い」という当たり前すぎる言葉で奮起できたのは,もうずいぶん前だと思う.やりたいときにやりたいことをやればいい,そうできるかどうかはともかく,若さのサ終に焦るくらいならその規範を持っていた方がまだましなのだろうかという,肌感覚というか,がある.人生100年時代のぼくのさいきょうのじんせいけいかくを立てても,翌日というあくまでも可能的な時の,ほんの隅の隅であってもその一部を確実に占有しているもの,例えば失職,死,一家没落,空からの大魔王襲来,などが,別に消えたことにはならない.これが,かもしれない運転,なのかもしれない.
「今が一番若い」という文言が使用されるとき,「若い」に価値的なニュアンスが全く含まれていないと言えば,嘘になると思う.
価値は劇物で,価値の体系を増やすことで,暗に陽に,他人に大小の銃口を向けることができる.そうしていつ自分に向くとも分からない銃口を増やしていくのは,なんというか,超人的ですね,と毎回感じてしまう(スカスカ感想終了).私も日々皆さんに価値を見出してしまっていることに陳謝しながら,この文章はおしまい.